⑱第一次まとめ
とりあえず、今後の考察の発展のために一端まとめます。ただし、このまとめは、他のクイックノート同様、確定的なものでは全然なくコロコロ変化します。
(留意事項)
現段階においては、以下記述する一連のシステム群のことは、すべて始源の揺らぐプリズムによって始源αからあちら側の時間、つまり逆行する時間で起こったことを歪んで移している他律的な像に過ぎない可能性がある。始源αからこちら側の時間、つまり順行する時間で発生していることが自立的なものかどうかは考察を必要とする。始源αにこちら側の順行時間とあちら側の逆行時間で起こることをすべて同一のものとする鏡のようなものを想定するのではなく、あちら側で発生することはこちら側で発生することを歪めて写し、また逆もまた真であるとあり、そしてどちらかの状態に変化がなくても一方に写る像は刻々と変化するという、始源の揺らぐプリズムを設定することによって、例え逆行時間のあちら側で発生していることが無に近くても、始源の揺らぐプリズムの状態如何によってはこちら側で発生することは壮大なシステム群でありまたそのシステム群が急速に発展しゆくものであるものである可能性があるのである。始源の揺らぐプリズムにどのような規定要因があるのかはまた考察する。
(始源αで起こったこととシステム群)
可能性①始源αからこちら側の時間で起こっていることがあちら側の時間で起こっていることを始源の揺らぐプリズムによって写しているだけの他律的な像に過ぎない場合
私たちが直感的に感じている記憶というものが虚偽のもので実は私たちが属するこちら側の時間で発生すていることはあちら側でのことを他律的に写しているだけの像となるので、私たちが感じている時間はあちら側の時間を始源の揺らぐプリズムによってあちら側の時間を歪めて写した偽時間となり、実際のこちら側の時間は私たちの直感的に把握している時間とは別に流れていることになる。なぜならば、私たちは歪んだ像に過ぎないからである。よって、こちら側で起こっていることがすべてあちら側に依存する他律的なものである場合、こちら側の時間においてはただ偽時間を持つ私たちのような像が出現しては消えることとなる。
可能性②始源αからこちら側の時間で起こっていることがあちら側で起こっていることの影響を受けつつ自律的に動くものである場合、さらに逆もまた真である場合
双方向に影響しあっているこの②のようなケースの場合、どの程度、こちら側で発生していることがあちら側の時間でのことに影響を受けているのかはまた考察してみる。
まず、こちら側で発生していることが始源の揺らぐプリズムに像を返すまでの「時間」、また逆にあちら側で発生していることが像を返すまでの逆行する「時間」は、当然、私たちが直感的に把握する「時間」とは別のものとなる。どのように違うものであるかは後ほど考察する。ここでは、とりあえず違うものとして像が時間内を移動する時間を時空時間とする。始源の揺らぐプリズムの揺らぎが発生するのは私たちの直感的な時間においてではなくて、その時空時間においてである。つまり、一方の時間で発生したことが時空時間の経過内に始源の揺らぐプリズムに像を送っている間にプリズムは揺らいでいるので、像がプリズムに到達するまでに時空時間がどのくらい経過するかによって、プリズムの裏側、現象が発生した側の時間とは別のサイドの時間においてその現象が写る像は変化していく。
始源αからこちら側の時間で発生してることがなにもなくても、始源の揺らぐプリズムによって、始源αからあちら側の時間では刻々変化する壮大な像が形成される可能性がある。そしてこのケース②の場合、ケース①のように偽時間を持つ像がシャボン玉のように現れては消えるものとは別の場合を想定しており、あちら側もこちら側もそれぞれが自律的に動くので、こちら側でなにもない状態が写ったあちら側の歪んだ像は独自の発展をして、こちら側になにもない状態とは別の像を返す。そして始源αからこちら側の時間において、下記のような一連のシステム群が発生する。
この場合、システム群が誕生するのは始源αから限りなく近い時間とは限らない。また、ある時間において突然発展する状態なしで完成されたシステムが出現する場合がある。この突然出来上がったシステム群が発生してそして自律的に発展していく場合にはシステム群にいる者たち、つまり私たち、にはシステム群の前触れなしの完成された誕生よりも前の時間のことが記憶として残っている場合がある。この記憶はもちろんシステム群にいる私たちが認識するであろうようにこちら側の時間のものではなく、あちら側の時間のものである。
((外部的なものX))
外部的なものXについての認識はまだ変化していないので、以前の日記の内容を多少変えて転載する。
第一に、外部的なものXとはUni-beingとよべるものであるという設定を行ってみると、下記のような構図が成り立つと思う。
まず、外部的なものXがある。これは現在の世界で分かりやすく例えるのであれば、インターネットの世界でその構成する者もインターネットに包融されている状態だと思う。現状態でのインターネットは私たちがPCを使ってつくりあげていてインターネットから情報を得るにはまずその情報を得ようと考える気持ちと情報がインターネットのどこにあるのかを把握していなければならない。これがUni-beingという仮定を行われた外部的なものXと同様の状態、つまりインターネットをつくりあげる構成員=我々の身体・頭脳とも完全にインターネットの内部に包括されているということになると、情報はすべて頭脳の中に蓄積されており最適なときに最適な情報が出てくる。さらには、身体もインターネットの中にあるのでその情報に従って自由に自らの形態を変えることが出来る。
第二に、創造、快楽の記憶、身体の動き、きらめく思い出群、高度な目的の背後、神性等をに観察される光はUni-beingである外部的なものXに自らを同一化させようとして失敗したためにもたらされる。
再び、インターネットの比喩に戻る。先導する最も高度な人々がそれにどうしようもなく惹かれているため人間全体がその周辺をいつまでもいつまでも回転しているように観察されるあの光を人間が見る視点というのは、現在の世界におけるインターネットを我々がPCのスクリーンから眺める視座と同じものであると思う。ある絵画、小説、音楽を創造をしたいと誰かが望む、するとその創造者にもたらされるいわゆる天啓の光はそれを可能にする情報を与える。このとき、その光は決してその光の背後にある情報をすべて与えて創造者をUni-beingの一員にすることなく、創造に必要なだけの限られた情報のみを提供する。ちょうど私たちが目的を持ってインターネットのあるサイトに行って目標の情報を入手することは出来るが、私たちの身体と頭脳はインターネットに完全にラップアップされている訳ではないのでインターネット内部の情報をすべて瞬時にして把握できないのと同じである。
快楽の記憶、身体の動き、きらめく思い出群、高度な目的の背後、神性をもたらす光も不思議なことに創造をもたらす天啓の光に酷使している。私たちがこれらの光によってもたらされる現象を獲得しようと思ったとき、もしくは取得できる状態を知らず知らずの間につくりあげていたとき、そのときのみにその光が顕れ、その望みを事実にするだけに十分だが過分ではない情報を与えて消えてゆく。やはりその光に含まれるすべての情報を公開するわけではない。光は例えるならばPCのスクリーンであり、そのスクリーンの向こうにあるインターネットの世界に私たち自身が身体・精神ともに完全に含まれているのではないのと同様、個々の状態にある私たちの存在は光をもたらすUni-beingにすべてまるまる含有されることは出来ないからである。光はUni-beingである外部的なものXと同一化することに失敗した私たちが限定的な情報を得るための必要なときのみに外部的なものXにある一部の情報を顕すために私たちの前に出現する。
第三に、ある条件を持つ「神」という設定はUni-beingである外部的なものXを模倣しようとして失敗している。
神が
条件a,全能である 条件b,すべてのものを創造した、もしくはしている 条件c,私たちとは別のものである
というものであるという設定を施されるとき、「神」はUni-beingである外部的なものXを現そうとしてそれに失敗した状態となる。やはりインターネットの世界で例えるのであれば、上記の条件において表現される神と私たちとの関係とは、インターネットとインターネットそのものをPCの画面から見ている私たちとの関係と同様である。つまり、神とは私たちにとってはあの光で表現されるものである。神という虚構はたしかに外部的なものXを表現しようとしているが、全能であり、すべてのものを創造したもしくはしているとする一方で、Uni-beingである外部的なものXに私たちがすべて含有されないのと同様に私たちを神と同一化することはしていない。よって神という設定は失敗している。
もしもインターネットの構成員が身体精神ともすべてインターネットに包融されているのであれば当然インターネットはその構成員との相互作用により全能でありすべてのものを創造した、もしくはしているということが出来る。またUni-beingである外部的なものXに私たちが完全に含まれるのであれば、これもまた構成員をすべて含有するインターネットにおけるのと同様、外部的なものXは全能かつすべてを創造するということが出来る。もしも「神」という設定に私たちが同一化するのであれば、「神」は私たちが包括された状態の外部的なものXをインターネットの比喩同様に言い換えたものになり全能かつすべてを創造するということは可能になる。
ところが、条件cによって神と私たちは別のものであるという設定が神に施されたとき、神は神と同一化している私たちとは別のものに対して全能であり創造していると言うことが出来るが、神と切り離されている私たちにはインターネットをPCの画面から見つめるのと同様、もしくは外部的なものXの限定的な情報を光によって私たちが得るのと同じく、希求した情報のみを必要なだけ与える存在となる。よって神という設定は外部的なものXを顕そうとしているが私たちを同一化していないが故に失敗しているということが可能になると思う。確かに神は外部的なものXかもしれないが、神から排除された私たちの前には局部的な情報を与える光としてしか認識されないので、私たちが神が確かに外部的なものXと知る術はなく、神もまた私たちの身体と精神を含んでいないために神と同一化していない私たちにとっては神は全能でもなく創造することもないからである。
((外部的なものXがクローズドシステムである場合))
外部的なものXは構成員を内在しており、自律的なものでなければならない。外部的なものXが私たちのいるシステムに光によって限定的な情報を与えるのみで、私たちからは外部的なものXに関与できない場合、一連のシステム群は次のようになる。
a,情報文字をランダムに出力するシステム
b,aで出力されたランダムな情報文字を無造作にランダムな文字数でくっつけるシステム
c,bにおいてランダムな文字数で無造作にくっつけられた言葉の中で意味のある言葉をピックアップするシステム
d,cで生成された意味のある言葉(=情報単語)をランダムな数くっつけるシステム
e,dで生成された意味のある情報単語をランダムな数だけ羅列し、意味のある情報単語の羅列(情報文章)をピックアップするシステム
f,eでピックアップされた意味のある情報文章を既存のシステムを動かしている情報命令文に付け加えたときに整合性がとれる文章のみを実際に既存のシステムを動かす情報命令文に付け加えられるものとしてピックアップするシステム
g,hでピックアップされた既存のシステムに付加可能な情報文章のうちで、実際に付加するとシステム全体を維持できなくなるものを排除するシステム
h,gで選別された既存のシステムを動かす情報文章と整合性がとれ、かつ、既存のシステムを維持できなくなることのない情報文章を、実際に既存のシステムを動かす情報命令文に付け加えるシステム
i,aからhまでのプロセスを行うシステムを複製していくシステム。複製されたaからhまでのプログラムはランダムな情報文字の出力と組み合わせによってそれぞれ独自の発展をする。
j,複製されランダムな情報文字の出力と組み合わせで独自の発展をしたシステムのうちで最も多くの情報を内在したものでi,j,k,lを行うシステム外の設定を破壊しないものを実際に「外部的なものX」として採用するシステム
k,jで採用された「外部的なものX」の情報を「外部的なものX」に含まれない者の要請(=私たち)に従って光の形で見せるシステム
l,jで「外部的なものX」として採用されなかったシステムのうちで、kにおけるシステムの外では「外部的なものX」に関与できず、かつ、i,j,k,lのシステムを破壊しないシステム、をピックアップして、kにおいて設定された情報を与えるシステムにアクセスできるようにするシステム
このシステム群では、私たちのようなシステム内部の構成員が発生しないシステムも数多くあると思いますけど、aからhまでの流れを行うシステムはiにおいて数多く複製されますので、いつかは私たち同様の構成員を抱くシステムが発生するはずです。
((外部的なものXがオープンシステムである場合))
a,情報文字をランダムに出力するシステム
b,aで出力されたランダムな言葉を無造作にランダムな文字数でくっつけるシステム
c,bにおいてランダムな文字数で無造作にくっつけられた言葉の中で意味のある言葉をピックアップするシステム
d,cで生成された意味のある言葉(=情報単語)をランダムな数くっつけるシステム
e,dで生成された意味のある情報単語をランダムな数だけ羅列し、意味のある単語の羅列(情報文章)をピックアップするシステム
f,eでピックアップされた意味のある情報文章を既存のシステムを動かしている情報命令文に付け加えたときに整合性がとれる文章のみを実際に既存のシステムを動かす情報命令文に付け加えられるものとしてピックアップするシステム
g,hでピックアップされた既存のシステムに付加可能な情報文章のうちで、実際に付加するとシステム全体を維持できなくなるものを排除するシステム
h,gで選別された既存のシステムを動かす情報文章と整合性がとれ、かつ、既存のシステムを維持できなくなることのない情報文章を、実際に既存のシステムを動かす情報命令文に付け加えるシステム
i,aからhまでのプロセスを行うシステムを複製していくシステム。複製されたaからhまでのプログラムはランダムな情報文字の出力と組み合わせによってそれぞれ独自の発展をする。
j,複製されランダムな情報文字の出力と組み合わせで独自の発展をしたシステムのうちで最も多くの情報を内在したものでi,j,k,lを行うシステム外の設定を破壊しないものを実際に「外部的なものX」として採用するシステム
k,jで採用された「外部的なものX」の情報を「外部的なものX」に含まれない者の要請(=私たち)に従って光の形で見せるシステム
l,jで「外部的なものX」として採用されなかったシステムのうちで、kにおけるシステムの外では「外部的なものX」に関与できず、かつ、i,j,k,lのシステムを破壊しないシステム、をピックアップして、kにおいて設定された情報を与えるシステムにアクセスできるようにするシステム
m,外部的なものXに含まれない構成員が外部的なものXに存在しない情報を持っていたときに、その情報が外部的なものXを破壊しない限りにおいて外部的なものXに取り入れるシステム
n,外部的なものXに含まれない構成員が外部的なものXに情報を与えて外部的なものXの変化への寄与がある一定段階を超えたら、その外部的なものXから除外されていた構成員を外部的なものXと同一化させるシステム
(nは省いても構わないと思うが、それは後に考察する)
このオープンシステムは、カルマとかスピリチュアリズムとか天国と地獄とかいうような設定に見られる
条件(い)人は不断に生まれ変わりをする
条件(ろ)生まれ変わりをしながらその一つ一つの生涯で得た情報をなんらかの存在に寄与していく
条件(は)なんらかの存在への寄与が一定段階を超えるとその存在の一員となることが可能になる
というような条件を持つ世界観と整合性が深く、大体同じ結果をもたらす。
これら2つのシステム群の優れたところは、システム群内部の多くの問題つまり例えばどうして人間が光の周りを果てしなく周回しているように観察されるのか、人間はどのような理由でいまある姿でいるのか、世界が現在のようである理由、といったことを
「情報文字と情報単語の生成をするシステムによって偶然そのようになったから」
という文言で片付けることが出来ることだと思います。
((情報文字、情報単語、情報文章、情報命令文、情報))
大きさは、
情報→情報命令文、情報文章→情報単語→情報文字
となっている。情報命令文、情報文章、情報単語、情報文字で使用されているのはすべて人間の文字ではない。
一番大きな単位の情報は情報命令文の複雑な複合体でシステムを構築し、ある単独の情報は他の多くの情報との階層構造となっています。例えば、このPCのスクリーンを見ているあなたがマウスを握っているという情報、そのあなたが握っているマウスがあなたの前に現れるためにあなたがマウスをどこかの店で購入したという情報、その購入した金額は1000円であったという情報、その1000円という金額は量販店の社長が決めたという情報、その量販店の社長は霞ヶ関からの天下りであるという情報、、、といった具合に、あなたがマウスを握るという情報が実現するために多くの情報が必要となってきます。その情報の一つ一つがまた多くの情報に支えられている。そしてその非常に多くの情報が集まって私たちが属する一つのシステムが構築されている。
それでは、今度はある人間がほんの一ミリ動いたとします。この一ミリ動いたという情報は一ミリ分の空気の揺らめきを発生させ、その揺らめきはほんの小さな風となっていくつかの空中に漂う微生物を動かし、その微生物はちょうど動いた場所にあった壁にぶつかり、、、、というように微細な動きもやはり多くの情報を生み出す。
しかし、ここである人間が1ミリ動いたのは何故かという理由を解明してみるとします。それは恐らく、その人間が1ミリ動いたことを支える下位の階層にある情報が答えとなる。その人間はずっと椅子に座っていたから、ちょうど筋肉の緊張を解くのにその1ミリ動く方向が都合がよかったから、その人間はお腹がすいていたから、、、、では、その1ミリ動いた理由の答えとなった下位階層にある情報のさらなる理由を考えてみるとします。どうしてその人間はずっと椅子に座っていたのか、どうして筋肉の緊張を解くにはその1ミリ動く方向が都合がよかったのか、どうしてその人間はお腹がすいていたのか、、、すると、さらに下位の階層にある情報がその問いかけの答えとなる。このようにして、ある一つの情報が発生した理由を解明しようとしていくと次々に下位の階層にある情報を辿っていくこととなります。
では、1ミリ動いたことの理由を求める最後の究極の理由を求めるために情報の階層を下位へ下位へと探求していったときに果たして本当に答えはあるのでしょうか。ないと思います。ある情報を発生させた理由となる下位の階層の情報はやはり上位の階層の情報と同じ大きさの単位のものであって、その理由としてあげられた如の情報もやはり同じ大きさの単位の下位の階層の情報に支えられている、というサイクルが数え切れぬほど多く続くからです。ある情報の理由を下位の情報に求める限り、眩暈のするほど多数の情報が列挙されるのみでついに答えには到達できない。
ところがここで不思議な逆の問いかけが想起されます。理由が見つからないのに、どうしてその人間は1ミリ動くことが出来たのか。もちろん先ほど考察したような下位の情報がもはや答えとならないのは明らかです。そこでシステム群における情報よりももっと小さな単位の「情報命令文」が登場します。
そして私たちのシステムを維持する情報よりも小さな単位である情報命令文(情報命令文とはシステムを維持するためにふさわしいものをスクリーニングしたもので、「情報文章」とはスクリーニングする前のもの)をさらに小さく分解していって、より小さな単位の「情報単語」、そして最小の単位の「情報文字」を考えてみます。一連のシステム群の一番最初に「a,情報文字をランダムに出力するシステム」がありました。このすべてのシステム群を開始する端緒となる「a,情報文字をランダムに出力するシステム」こそが、単位を大きくさかのぼっていって、ある人間が1ミリ動くための情報が発生した理由の問いかけの最後の究極の答えとなると思います。
ある情報Aが発生するのに、同じ大きさの単位である情報Bを理由としてあげてはいけない。なぜならば、その情報Bはさらに他の情報Cを理由として必要とするからです。そうではなくて、情報よりもより小さな単位であって人間の言語ではない情報命令文、情報単語、情報文字をさかのぼっていって、最後に「a,情報文字をランダムに出力するシステム」を仮定すればよい。すると、ある人間が1ミリ動く情報が生まれる理由も、またあなたがキーボードを打っているという情報が生成される訳も、すべての情報の発生原因が説明されます。
可能性③始源αからあちら側の時間で起こっていることがこちら側の時間で起こっていることを始源の揺らぐプリズムによって写しているだけの他律的な像に過ぎない場合
この場合、こちら側のなにもない状態をあちら側で写した像が再度プリズムにはねかえってくる時空時間の間にプリズムが歪むので、こちら側にも他律的な偽時間を持つ像が写っては消えていくが、実際の時間においては何も発生しない。このケースでは最終的には、こちら側、あちら側とも偽時間を持った像が現れては消えるという現象が発生する。