高田馬場に転がる反骨精神

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以前、大失敗して購入した、男オーラ抜群になる不思議な女性用のコートを着るのは断念して、可愛目のコートを入手することにしました。

「しまむら」なるところが激安いと聞いて、高田馬場に行きました。結局、なんかいまいちなデザインだったし、数回洗うと最も主要な部分が壊れる確率が大きいことを覚悟してABABで買ったけど。

高田馬場駅周辺って、早稲田の学生と、早稲田のインカレのサークルに混じってる女子大の学生がすごくたくさんいますよね。

音楽とかやってて髪が長い人や、私以上におかま判定されそうな人がたくさんいるから、すごく歩きやすいことは歩きやすかったです。

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昔、アルバイトでエキストラの番組に出たときに、打ち合わせの会議で早稲田の学生と議論したことがありました。

お金がなくて首をつっこみたがる性分だといろいろなアルバイトをするものですよ、、ええ。。

そのとき、きっちりとスーツを着て、ネクタイをしめた政経学部で弁論部の早稲田の男性の学生が、

「自分は早稲田で反骨精神を学んだ。(だから従順なあんた達とは違うんだ)」

って発言しました。確か、官僚制度を擁護する発言を同じくエキストラに出た純女の同級生と一緒にしたときだったと思います。

ん??今の発言って、なにかが論理的におかしいかも、、、ってすぐに思いました。

でも、何が間違ってるのかはその場では分かりませんでした。

結局、その早稲田の学生は弁論部で何を得たのか不思議なほどに知識不足で議論が出来なくて、こちらが議論を主導することになりましたけど。


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えー、先ほどの早稲田のスーツを着た政経学部で弁論部の学生の発言を繰り返したいと思います。

①「自分は早稲田で」

②「反骨精神を」

③「学んだ」

まあ①は如の学生が早稲田大学でもどっちでもいいので無視することにして、、、

おかしいのは②「反骨精神を」と、③「学んだ」のつながりですよね。

反骨精神というのは、早稲田大学で彼にその言葉を教えた人がどのように都合のいいように解釈したのかは分かりませんけど、もし国語のテストで「反骨精神の語義を述べよ」っていう問題が出たとしたら、

「既存の体制にひるまず自らの考えを貫き通すこと」

という答えを書けば、まず誤答ということはないと思います。

で、その反骨精神を誰かから学んだ、、、と。

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早稲田大学の構内に入ったことはないから、その内部でどのようなことが行われているのかはさっぱり分からないですけど。。

高田馬場で感じる雰囲気はすごく好きなのであまり変な学校ではないと思いますけど、、

例えば、反骨精神を学内の特定のグループが示していたとして、そのグループ内にいる自分も反骨精神を身につけたというのであれば、それは反骨精神というものではなくて、単に風潮に染まっただけだと思います。

もし、就職にも使えそうなスーツを着て真面目そうな短い髪型をした学生が

「自分は、、、大学で反骨精神を学んだ」

と主張するのであれば、その学生はおそらく、大学を出てどこかの安定した組織に属した途端、

「自分は、、、という組織でその組織における×××という風潮を学んだ」

と言って、すぐにその反骨精神なるものをかなぐり捨てると思います。

反骨精神を従順に学んでしまったその学生に、新しい組織が教え込むドグマに反抗する気力があるとも思えません。

どこかの会社に所属しながら、特に決意を要することもない反骨精神をまき散らすことはあるかもしれませんけど。

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所詮はドMな私に「反骨精神とは何か」と聞かれても知る訳はないですけど、すべての人間を見えない穴に落としこむ契機となるものについては分かる気がします。

それはその人間が持つ固有の性質であって、それがたまたま既存の勢力にそぐわない方向に自分を進めてしまうことがある。

反骨精神を形成するのは、後から見るとまるで運命の糸のようにつながっている一連の偶然の連続であって、そしてその種はすでに昔々から自分の中にある。

決してどこかの大学によって教え込まれるものではないと思います。


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例えば、高田馬場にいる一人の長髪の学生を連想してみましょう。

彼は音楽をヘッドフォンで聴いている。ヘッドフォンは外界の音から彼の意識を遮断している。

「長髪」+「音楽」

という組み合わせの学生は高田馬場にたくさんいると思いますけど、私たちが観察する一人の長髪の学生は、就職や大学院進学の時期に来ても不思議なことに音楽への渇望が離れず、長髪のままひたすら音楽をやり続けたとする。

何も活動しないわけだから、当然、彼は卒業後に無職になりますね。

それでも、彼が高田馬場をふらついていた学生時代同様、長髪のまま音楽をやり続けたとする。

いい年をしてずっと音楽をやっていても周りの皆がまっとうな道を歩きはじめているのは分かると思います。また周囲からもプレッシャーがかかってくる。

こうなると音楽を続けるのにはそれなりの決意と意思が必要となる。それでも「長髪」+「音楽」という彼のトレードマークを手放すことはなかったとする。

だんだん彼は年をとっていきますね。高田馬場にいたころから遠ざかっていく。

成功することも失敗することもあると思いますけど、それでも長髪のまま音楽を続ける。


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この悲惨な長髪で音楽ばかりをやっている一人の学生に宿るものが、本当の反骨精神なのだと思います。

彼が音楽を続けるのは、音楽というものをどうしても好きになってしまう自らの固有の性質の故であって、どうしようもない。

どうしようもないけれども、その自分が古くからアイデンティティーとしてはぐくんでいた固有の性質がトラップのようにしてまっとうな社会の道から乖離させていく。

反骨精神なるものは本来、このように危険であり、一旦種子を発芽させたのであればその成長はなかなか止めることは出来ず、思わぬ社会の溝に自らを陥れてしまうものだと思います。

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「反骨精神を」「学んだ」という如の早稲田の学生は、推測するところ、そんな切羽詰った状況に自分を置くことは、学生の気楽さで夢想することはあるかもしれないですけど、実行する可能性はあまりないのでは、と思います。

誰が反骨精神なるものをもっているかはそれが芽を出さなければ分からない。そしてそれがいつどのようにして発現してしまうかも不明である。

でも、少なくとも、反骨精神については大学で十分にそれを学んだ自分はふんだんに所持していると述べる者の反骨精神だけは本物ではないと思います。



















このブログ記事について

このページは、いとう さやかが2008年12月 5日 19:23に書いたブログ記事です。

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