ウェットとドライの間の暗闇

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ウェット・オーガズムとドライ・オーガズムってありますよね。

あの2つって、ドライの場合は射精して、ウェットの場合は変な波がこみあげてきて、最終的な段階では2つとも明白に分離しますよね。

それで、最後の分離に至るまでの段階では、ウェットは習慣性のある射精に到達したい欲望が混じった小さな快楽の光が弱く小刻みに身体に蓄積されていって、ドライは誰かに抱かれたりいろいろされて幸せ感のある大きな快楽の光が強くだんだんと身体を溶かしていくと思うんですけど、、、

2つの別々の感覚ではあるけど、身体が喜びと感じるような感覚があるという点では、共通するものがありますね。


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仮に、ドライとウェットという別々の快楽の感覚にある共通項を「ドライ・ウェット共通要素」としてみます。もちろん、ドライ・ウェット共通要素とはなにか、感覚のどこまでがドライ・ウェット共通要素であり、どこからがドライとウェットが分離するのであるか、と問われるのであれば、それを明白に述べることは難しい。だけれども、ドライとウェットの最終的な段階とそれに至る段階の中にあって、身体に同じ作用を及ぼす一連の感覚を、ドライ・ウェット共通要素としてみます。

このドライ・ウェット共通要素から、人間が感じ取れない、第三の快楽、つまり、インター・ドライ・ウェット・オーガズムという快楽が直接発生せずに、どうしてドライとウェットに分離してしまうのか、を考えてみたいと思います。

ドライ・オーガズムとウェット・オーガズムの間に非常に暗い闇がある。2つの分離されたものの中に、埋められるべき空白がある。その空白の大部分を満たすはずの、ドライ・ウェット共通要素から発生すべきであるインター・ドライ・ウェット・オーガズムはどこに消えてしまうのかを追ってみようと思います。









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このページは、いとう さやかが2009年1月 6日 10:57に書いたブログ記事です。

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